ちょっと空いたが、この記事の続き。
この年表にちょっとずつ私なりに補足していこうかなと思う企画その2。
今回は1996年に補足していきたい。
- 1. 1996年の渋谷系
- 1.1. ◯カヒミ・カリィが森永ハイチュウのCMに出演、3/1よりOA開始。
- 1.2. ◯書籍『前略 小沢健二様』刊行(3月頃)
- 1.3. ●『噂の探偵QAZ』のOSTがリリースされる(3/20)
- 1.4. ●よしもとよしとも『青い車』、刊行(5/1)
- 1.5. ●岡崎京子、事故により休業する(5月)
- 1.6. ◯HMVの太田浩、赤坂本社へ転勤のため渋谷店を去る
- 1.7. ◯ECD主催のヒップホップイベント”さんぴんCAMP”が日比谷野外音楽堂にて開催
- 1.8. ◯日比谷野外音楽堂にて”大LB夏まつり”開催
- 1.9. ●コーネリアス、リミックス・アルバム『96/69』リリース(6/9)
- 1.10. ●渋谷系コンピ『Sushi3003』がBungalowよりリリースされる(8/26)
- 1.11. ●バッファロー・ドーター、グランド・ロイヤルより1stアルバムをリリース(8/26)
- 1.12. ●『シーティーピーピーのデザイン』が刊行される(8月)
- 1.13. ●かせきさいだぁの『かせきさいだぁ≡』がメジャーでリリースされる(9/1)
- 1.14. ●梶野彰一、〈L’APPAREIL-PHOTO〉をスタートさせる(9/2)
- 1.15. ●bonjour records、代官山にオープン(11/7)
- 1.16. ●小西康陽、『これは恋ではない』を刊行(12月)
- 1.17. ●川勝正幸、『ポップ中毒者の手記 約10年分』を刊行(12月)
- 1.18. ●ピチカート「メッセージ・ソング」が「みんなのうた」に起用される(12月)
- 1.19. ●A Bathing Ape、カモフラのスノボジャケを発売(時期不明)
- 2. さいごに
1996年の渋谷系
補足する上での注意事項
なお、●は年表にないもの。○は年表にあるが補足する必要を感じたものだ。
◯カヒミ・カリィが森永ハイチュウのCMに出演、3/1よりOA開始。
同CMのCMソングとして使われたのは「Le Roi Soleil」(ミニアルバム『LE ROI SOLEIL』に収録)。
また、同年春にはピチカート・ファイヴが日産ミストラルのCMに(CMソングは「ベイビー・ポータブル・ロック」)、秋には小沢健二が田村正和との共演でワンカップ大関のCMに(CMソングは「大人になれば)、小山田圭吾は森永・小枝のCMに出演した。なお、小山田は女装での出演であり、話題を呼んだ。
◯書籍『前略 小沢健二様』刊行(3月頃)
同年11月には、『渋谷系 元ネタディスクガイド』が太田出版より刊行された。
『前略 小沢健二様』の目玉のひとつは巻末に収録された、フリッパーズ・ギター及び小沢健二楽曲の元ネタディスク・ガイドであったわけだが、『渋谷系 元ネタディスクガイド』はその拡大版ともいえる内容であり、コーネリアス、スチャダラパー、ピチカート・ファイヴ、かせきさいだぁ、スパイラル・ライフの元ネタに焦点が当てられた。
なお、あくまで筆者周辺での話ではあるのだが、当時スパイラル・ライフは渋谷系にカテゴライズされることは少なく、本書以降“ああ、渋谷系で括っていいんだ”という雰囲気が浸透した記憶がある。
●『噂の探偵QAZ』のOSTがリリースされる(3/20)
『探偵物語』へのオマージュが的な作品であり、古尾谷雅人が主演した『QAZ』のサウンドトラックがトラットリアからリリースされた。
音楽を担当したのは小山田圭吾。サントラにはカジヒデキやコーデュロイの曲も収められている。
●よしもとよしとも『青い車』、刊行(5/1)
スピッツやフィッシュマンズの曲名を冠した作品がある、小沢健二の歌詞が引用された漫画があるという元ネタ的な話もあるが、この短編集が当時の渋谷系直撃世代に文化的に与えた影響は大きいはず。
●岡崎京子、事故により休業する(5月)
一命こそとりとめたものの、一時は意識不明の重体に。以後、岡崎京子は活動を休止している。
なお、2015年には世田谷文学館で個展「戦場のガールズライフ」が開催され、3月29日には小沢健二がゲリラ的に同所でライヴを行うという“事件”も。
ちなみに、同個展の入り口でBGMとして流れていたのは、ピチカート・ファイヴ「衛星中継」であった。
◯HMVの太田浩、赤坂本社へ転勤のため渋谷店を去る
◯ECD主催のヒップホップイベント”さんぴんCAMP”が日比谷野外音楽堂にて開催
◯日比谷野外音楽堂にて”大LB夏まつり”開催
ソニー・マガジンズから刊行されていた雑誌「MORE BETTER」の07号(8月発売)で、上記3件について特集が掲載されている(太田氏はインタビュー記事)。なお、表紙・巻頭はカヒミ・カリイである。
●コーネリアス、リミックス・アルバム『96/69』リリース(6/9)
砂原良徳、石野卓球、想い出波止場、シトラス、暴力温泉芸者などが参加。
和田弘とマヒナスターズが参加したことでも話題となったが、衝撃的だったのはHideの「HEAVY METAL THUNDER」。
Hideと小山田という組み合わせは「音楽と人」94年11月号で既に実現していたが、こうして実際に音源として出ると驚愕以外のなにものでもないというか。なお、Hideの死後に小山田は「ピンク・スパイダー」をカヴァーしている。
●渋谷系コンピ『Sushi3003』がBungalowよりリリースされる(8/26)
ドイツのBungalowよりリリースされた『Sushi3003』というコンピは、コーネリアスやカヒミ・カリィ、ピチカートの楽曲などが収録された渋谷系コンピであった。
このアルバムは秋頃にはひそかに話題となっていたが、「世界同時渋谷化」ということばを証明するものとして、翌年夏に大いに注目されることになる。
また、デイト・オブ・バースが渋谷系と同じ文脈で評価されたことは日本本国で驚きをもって迎えられた。
なお、ベルトラン・ブルガラがプロデュースした女優ヴァレリー・ルメルシエの『シャントゥ』も、フランス本国ではTRICATELよりリリースされたが、ドイツではBungalowから96年にリリースされ(日本では後述するL’APPAREIL-PHOTOから)、翌年の「世界同時渋谷化」や〈HCFDM〉ムーヴメントにおいて評価されることになる。
●バッファロー・ドーター、グランド・ロイヤルより1stアルバムをリリース(8/26)
ビースティー・ボーイズが興したレーベル〈グランド・ロイヤル〉から、1stアルバム『Captain Vapour Athletes』がリリースされた。
なお、同盤は、「米国音楽」が立ち上げたインディ・レーベル〈Cardinal〉で発表された曲を集めたものであり、インディ・レーベルから〈グランド・ロイヤル〉へという経緯がひとつの事件でもあった(国内盤は98年にリリースされた)。
●『シーティーピーピーのデザイン』が刊行される(8月)
多くの渋谷系ミュージシャンの作品のアート・ワークを担当したことで知られる、アート・ディレクター・信藤三雄の仕事を集めた作品集『シーティーピーピーのデザイン』が光琳社出版より刊行された。
●かせきさいだぁの『かせきさいだぁ≡』がメジャーでリリースされる(9/1)
前年にインディーズでリリースされた同盤だが、1996年にトイズ・ファクトリーより発売され、地方のCD屋さんでも入手できるようになった。スチャダラパーの存在があったとはいえ、まだまだギタポ少年とヒップホップとは相性がよくなかったわけだが、かせきのこのアルバムにより、それは大分薄れたのではないだろうか。
なお、メジャー版には、インディーズ版には収録されていなかった「冬へと走りだそう!」(『米国音楽 vol.6』の付属CDが初出)も収録された。
ちなみに。渋谷系&ネオアコ讃歌ともいえる、でんぱ組inc.の「冬へと走りだすお」は作詞:かせきさいだぁ、作曲:木暮晋也(ヒックスヴィル)である*[1] … Continue reading
さらにさらにいえば。そして、完全に蛇足ではあるが。「冬へと走りだそう」というタイトルはアズテック・カメラの「Walk Out To Winter」が元ネタである。
●梶野彰一、〈L’APPAREIL-PHOTO〉をスタートさせる(9/2)
フォトグラファーの梶野彰一がコロムビア内でレーベル〈L’APPAREIL-PHOTO〉をスタートさせ、9/2にレーベル第1弾としてモーマスのデモ音源集『20ウォッカ・ジェリー』がリリースされた。
同レーベルはBungalowやTRICATELのアルバムを多く扱うこととなり、翌年以降の「世界同時渋谷化」、〈HCFDM〉とも密接に関わってくることになる。世界における同時多発的に発生した渋谷系的な音楽を、日本において紹介するガイド役として、〈L’APPAREIL-PHOTO〉は機能したのであった。98年には姉妹レーベルのL’APPAREIL-PHOTO bisもローンチした。
●bonjour records、代官山にオープン(11/7)
JUNグループが運営するセレクト・ショップ、bonjour recordsが代官山にオープン。同ショップはレコードのみならず、メゾン・キツネの衣類や洋書も取り扱うなど、独自のセンスで注目された。2011年にリニューアル・オープンを果たした。
●小西康陽、『これは恋ではない』を刊行(12月)
小西康陽のコラムをまとめた『これは恋ではない』が幻冬舎より刊行された。同書は過去に小西が音楽や映画について書いた原稿をまとめたものであり、装丁、本文で使用されているフォントなど、晶文社のスクラップブックへのオマージュとなっている。
当時となっては読むのが困難となっていた小西の原稿が一冊にまとまったという意味でも価値はあるのだが、「渋谷系的な価値観とはなんだったのか」を考える際の重要な資料にもなりえるという意味で、現代において資料的な価値はより増しているだろう。
●川勝正幸、『ポップ中毒者の手記 約10年分』を刊行(12月)
サブカル、中でも渋谷系的なサブカルの伝道師でもあった川勝正幸氏の原稿が『ポップ中毒者の手記 約10年分』(大栄出版)としてまとめられ、刊行された。
小西康陽の『これは恋ではない』とセットで読まれるべき重要な作品。
●ピチカート「メッセージ・ソング」が「みんなのうた」に起用される(12月)
NHKの「みんなのうた」に、同年12/21にリリースされたピチカート・ファイヴの「メッセージ・ソング」が起用された。翌年1月まで放映された。
●A Bathing Ape、カモフラのスノボジャケを発売(時期不明)
小山田がよく着用していたこともあって、97年にはマストアイテムとなっていたApeのカモフラ柄のスノボジャケが初めて発売されたのは96年。
さいごに
なお。年表に盛り込むほどのものではないと思うが、以下の4枚も97年を考える上で重要な作品だろう。
1枚目は嶺川貴子の『roomic cube~a tiny room exhibition』。
バッファロー・ドーター組も参加したアルバムで、当時はラウンジ・ミュージック、エレベーター・ミュージックとして評価された1枚。エレクトロニカっぽいサウンドの上に乗るウィスパーボイスということで、後に出てくるOUR HOURなどとともに、現在のいわゆるアキシブ系に繋がるというのはいいすぎか。
2枚目は市井由理『JOYHOLIC』
このアルバムについては、以前、ここでも触れた。
レコーディングに参加したミュージシャンは、小泉今日子、かせきさいだぁ、ヒックスヴィル、ASA-CHANG、菊地成孔、朝本浩文。渋谷系も渋谷系である。個人的には、この年の渋谷系裏名盤第1位。
3枚目は小沢健二『球体を奏でる音楽』。
『LIFE』、そして「強い気持ち、強い愛」「さよならなんて云えないよ」「戦場のボーイズ・ライフ」「痛快ウキウキ通り」と続いたひたすらハッピーでアッパーな小沢はそこにはなく。ジャズを取り入れ、自分と静かに向き合いながら、ポピュラー・ミュージックを歌おうとした小沢くんの歌には当時シビれた。シンガー・ソングライターとしての小沢健二の立ち位置はここである程度定まったのかなと、今は思う次第。
4枚目はオリジナル・ラブ『Desire』。
シングル・カットされた「プライマル」は言わずもがなの名曲だが、ニューオーリーンズな「ガンボ・チャンプルー・ヌードル」、アフリカンな「Hum a Tune」、カントリーな「少年とスプーン」など、渋谷系的なものに留まらない、ルーツ・ミュージックとも向き合ったその音楽性にまず驚かされた。「渋谷系ディスクガイド」に、「田島貴男は佐野元春的な方向に向かのではないか」というような内容で書かれていたが、このアルバムを聴いて大きく頷いたものである。後に大傑作『街男・街女』を残すことになる田島だが、その萌芽はここにあった。
奇しくも、かつて“渋谷系御三家”といわれた小沢・田島は揃って96年に渋谷系に留まらない方向へと歩みを進めたわけだが、翌年には小山田も渋谷系を脱し、『ファンタズマ』で音そのものとの向き合うことになる。
そして、小山田に大きな刺激を与えたのが……1995年に砂原良徳が身内に配った『LIMITED EDITION NOT FOR SALE』と、自身初となるソロ・アルバム『CROSSOVER』なのだが、その話はまたいずれ。
註釈
↑1 | 途中の「家族や友人たちと~」という“語り”は言うまでもなく、小沢健二「愛し愛されて生きるのさ」へのオマージュであるが、この元ネタはパシフィックの「Barnoon Hill」である。また、でんぱ組は2012年に小沢健二「強い気持ち・強い愛」をカヴァーしている |
---|