ミステリ・ファンもマニアックな視点から楽しめる映画『ラブ&マーシー』について

ミステリ・ファンもマニアックな視点から楽しめる映画『ラブ&マーシー』について

『2017 本格ミステリ・ベスト10』で、私は海外部門への投票において、第3位に映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』の名を記した。

『ラブ&マーシー』は実在するミュージシャン、ブライアン・ウィルソンと、彼の妻であるメリンダを主人公としたブライアンの伝記的な映画である。
では、なぜ私は同作をミステリ、しかも本格ミステリの作品として推したのか。本エントリではそこのところを少し突っ込んで書いてみたい。

さて、劇場で公開された2015年、そしてソフト化された2016年も、ミステリ・ファンからは同作品はミステリ映画としては評価されていないようだが、ニューヨークのカルチャー・マガジン・サイト「Vulture.com」に掲載された評論では、同作には「A Sense Of Mystery」があるとはっきりと書かれている。
そういう意見があるから「これはミステリなのだ」とは言わない。
同作はミステリ形式を明らかに採用した映画だからこそ、私はミステリとして評価するのである。

あらすじ

あらすじはこうだ。
1962年にデビューしたビーチ・ボーイズ。「サーフィンUSA」や「ファン・ファン・ファン」などヒット曲を次々に発表する一方で、メンバーの一人であり中心的人物でもあったブライアン・ウィルソンは、ハードなツアー活動が心身への負担となり、フライト中にパニックの発作に襲われる。1964年末、ブライアンはスタジオでの音楽作りに専念したいとメンバーに主張し、ツアーから離脱し、スタジオに籠もるようになる。

舞台は変わって、1987年。車の販売店にある男が現れる。セールスを担当する女性、メリンダ・レッドベターが接客を始めるが、その男はどこか不安げで落ち着きがない。やがて男は自分はブライアン・ウィルソンであると明かす。弟のデニス・ウィルソンの死からいまだ立ち直れないことを唐突に打ち明けるブライアン。そこへ精神科医のユージン・ランディ が現れ、有無を言わさずブライアンを連れ去って行く。去り際に、ブライアンはメリンダにメモを渡す。そこには「寂しい 怖い 脅えてる」と書かれていた……。

どうだろう。実にミステリ的な出だしではないだろうか。

ミステリ映画としての『ラブ&マーシー』

最終的に物語は1987年でハッピーエンドを迎える。メリンダの真実の愛によって、ブライアンは救い出されるのだ。
しかし、これは単なる伝記映画でも、単純な恋愛映画でもない。

1967年のブライアンと1987年のブライアン。
2つの時間軸でのブライアンの苦悩が交互に描かれることで、
ブライアン・ウィルソンはなぜ廃人のようになってしまったのか。
そして、1987年のブライアンは何に怯えているのか。
以上の謎が次第に明らかになっていくからだ。
2つの時間軸でブライアンを支配するものが明らかになるくだりにも、A sense of Mysteryはある。隠さえれていた繋がりが、共通点が浮かび上がるからだ。

以上のことから、『ラブ&マーシー』が単なるラブストーリーにとどまらない、ミステリ的要素を併せ持った物語に仕上がっていることがわかっていただけたとは思う。

とはいえど、ポップス愛好家であれば、謎の答えを知っているはずだ。
だが、たとえ知っていたとしても、1967年と1987年をこうして接続してしまうとは思いもよらなかったはずである。構成の見事さに舌を巻くはずだ。

以下にネタバレも込みで、1967年と1987年のブライアンに何があったかをある程度書いてしまう。検索窓に「ブライアン・ウィルソン」と打ち込めばすぐに出てくるような話ではあるし、ミステリとしての本作の肝には触れてはいないと判断し、記しておこう。

1966年にブライアンは『ペット・サウンズ』という傑作アルバムをものにする。ビーチ・ボーイズのメンバーとではなく、スタジオ・ミュージシャンたちとスタジオに籠もって作られた同作は今日でこそポップス史に燦然と輝くポップス・アルバムとして評価されているが、当時はメンバーからは酷評され、レコード会社やファンにも歓迎されることなく終わってしまう。

当時25歳のブライアンはさらなる高みを目指して次回作『スマイル』の制作に取り掛かるが、ドラッグとプレッシャーによって精神が蝕まれ、心身ともにボロボロになってしまう。そして、ついには『スマイル』の制作そのものが中断されてしまうのだった。
さて、ブライアン・ウィルソンがソロでレコーディングした『That Lucly Old Sun』というアルバムがある。2008年のアルバムだ。

この中に「Going Home」という曲がある。そもそもこのアルバム、ブライアンの伝記めいた歌詞があちこちに散見されるのだが、この曲には次のような一節があるのだ。

At 25 I turned out the light
Cause I couldn’t handle the glare in my tired eyes

(訳)
25歳のとき、ぼくは明かりを消した
ぼくの目は疲れていて、まぶしさに耐えられなかったからだ

『スマイル』が頓挫して以降、ブライアンは以来20年もの長きに渡って明かりを消し、“目を閉じ”ている。
1987年のブライアンは、そうやって“目を閉じていた”ブライアンなのである。メリンダはやがて、ブライアンの治療を担当する精神科医のユージンが彼を洗脳し、文字通り支配していることを知る。メリンダはブライアンを救おうと奔走する。メリンダやビーチ・ボーイズのメンバーの尽力もあって、ついにブライアンは“目を開き”、復活を遂げる。「ラブ&マーシー」とは、ブライアンが1988年に発表したソロ・アルバム『ブライアン・ウィルソン』に収められた樹玉のバラードのタイトルだ。[1]そして、ブライアンは2004年に、ダリアン・サハナジャらの力を借りて、未完成だった『スマイル』を完成させ、Smileを取り戻すのである。

本編の最後で流れるのは「Wouldn’t It Be Nice」。もちろん『ペット・サウンズ』の1曲目である。1967年の苦悩の幕開けとなった『ペット・サウンズ』の冒頭を飾る曲が、1987年のブライアンに訪れたハッピーエンドを祝福するのである。この構成が実に心憎い。しかも、「Wouldn’t It Be Nice」では、ふたりで新しい朝を迎えることが肯定的に描かれているのだから。

Wouldn’t it be nice if we could wake up
In the morning when the day is new?
And after having spent the day together
Hold each other close the whole night through

さいごに

ビーチ・ボーイズ/ブライアン・ウィルソンのファンであれば、以前写真などで目にしていた“あのシーン”が映像化されるということでマニアックな視点から楽しめるはずだ。だが、この映画をマニアックな視点で楽しめるのは彼らだけではない。ミステリ・ファン、特に普段から構成の妙や伏線回収の妙をマニアックな視点で楽しんでいる本格ミステリのファンならば、絶対にこの映画は観ておいて損は無いはずである。

註釈

註釈
1 そして、ブライアンは2004年に、ダリアン・サハナジャらの力を借りて、未完成だった『スマイル』を完成させ、Smileを取り戻すのである。