あの頃のサブカル少年・少女への強烈な肘鉄~樋口毅宏『ドルフィン・ソングを救え!』を読んで

あの頃のサブカル少年・少女への強烈な肘鉄~樋口毅宏『ドルフィン・ソングを救え!』を読んで

今さらで申し訳ないが、樋口毅宏の『ドルフィン・ソングを救え!』を読了した。

フリッパーズ・ギターをモデルとしたグループが出てくる小説であること、岡崎京子の『リバーズ・エッジ』のひとコマが表紙に使われていることから、渋谷系直撃世代の私としては逆に避けていたのだが、そろそろ読まねばと思い手にとってみた。

『ドルフィン・ソングを救え!』とは

あらすじはこうだ。

時は2019年。 45歳、結婚経験なし、子どもなしのフリーター・トリコが、人生に絶望して、睡眠薬をまるごとひと瓶飲んで自殺をはかる……。
意識を取り戻した先は、昭和の終わり、バブル期まっただ中の1989年の渋谷。
30年前にタイムスリップしたトリコは、青春時代に好きだったバンド「ドルフィン・ソング」の解散を阻止すべく、奔走する!
トリコはドルフィン・ソング、島本田恋と三沢夢二のふたりを救えるのか?!
時代は彼女に、何をさせようとしているのか?
そして、最終的にトリコが行き着く先はいったい、どこなのだろうか?

ドルフィン・ソングがフリッパーズ・ギターのことであり[1]「ドルフィン・ソング」はフリッパーズ・ギターの3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』の1曲目のタイトルである、島本田恋が小山田圭吾、三沢夢二が小沢健二であることは誰もが気づくであろう*[2] … Continue reading
また、文章のあちこちにフリッパーズ・ギターの歌詞やソロ転向後の小沢健二の歌詞からのサンプリングがなされていることも、小沢・小山田の熱心なファンであれば当然気づくであろう。

同書はそういう視点、つまり元ネタ探し的な視点で読んでも当然面白い。
1989年にタイムスリップし音楽ライターとなった主人公のトリコ[3]フリッパーズ・ギターの1st『海へ行くつもりじゃなかった』2曲目のタイトルは「ボーイズ、トリコに火を放つ」が、ドルフィン・ソングの2ndアルバム『フィルム・コメント』(フリッパーズの2ndアルバムのタイトルは『カメラ・トーク』)について彼らにインタヴューを行うシーンがあるが、その中で『フィルム・コメント』に収録された楽曲の元ネタについて順を追いながら問うシーンがある(第二部 10・11章)。ここでトリコが示す元ネタは、そのまま『カメラ・トーク』の元ネタでもあり、このくだりだけで渋谷系直撃世代のリスナーとしては悶絶もの。あの二人にこんな風に直接問えることができたら、と願ったことは私にもあった。繋がりたいのではなく、答え合わせをしたいという願い。

ただ、この作品はおそらくそこにこそ罠があると私は思う。
あの頃、つまり80年代末から90年代前半を懐かしんで、あの頃の僕らといったらいつもこんな調子だったねと確認し合う。そういう読み方ももちろん想定されてはいると思うが、この作品はおそらくそこを逆手にとり、あざ笑いさえしているように思えるのだ。

ミステリとしての『ドルフィン・ソングを救え!』

『ドルフィン・ソングを救え!』は、「なぜドルフィン・ソングは解散したのか」、つまり「なぜ三沢夢二は島本田恋を殺害したのか」を問うミステリ形式を採った小説である。真相の手がかりは第二部 11章で明確に示されている。
『フィルム・コメント』の5曲目「WARM SOUNDS」(なお、『カメラ・トーク』5曲目のタイトルは「Haircut100~~バスルームで髪を切る100の方法」である)の歌詞についてトリコが二人に問うくだり。「いつか僕らは目隠しするだろう」の意味を問われた夢二はこう答える。

「……正直、僕にもわからないんだ。だけど、歌詞を書いていたとき、ふっと思い浮かんでね。何だろうなって思うよ。もしかしたら、何かの予言になってたりしてね」

読者には「いつか僕らは目隠しするだろう」が真相に絡んでくるであろうことはここでなんとなく予想できるはずだ。意味深な手がかりは真相にどう絡んでくるのか――これがミステリ的なフックとなっている。

ここで注目すべきは、問題となる曲のタイトルが「Haircut100」をモジったものではなく「WARM SOUNDS」となっていることだ。
フリッパーズ・ギターの3rdアルバムにして、最後のスタジオ・アルバムとなった『ヘッド博士の世界塔』の最後を飾る「世界塔よ永遠に」という曲がある。

この曲の元ネタのひとつ、というよりもベースとなった曲がWarm Soundsの「Nite Is A-Comin」なのである[4]ちなみにWarm … Continue reading

つまり、フリッパーズ・ギターの幕引きを飾った曲に密接に絡んでいる曲にまつわる名前を持ち出してくることで、樋口はこのやりとりが真相を暗示していることをほのめかしているわけだ。

しかし、物語を読み進める内に、私たちはある謎に直面するはずだ。ただし、直面はするが、特に気にすることなくスルーしてしまうはずである。なぜならば、その謎とは「タイムリープしたトリコの最大の目的はドルフィン・ソングの解散を防ぐことかもしれないけど、本当は他にやるべきことがあるんじゃないのか?」――あまりにも妄想的であり、それこそ神の御業を問うような壮大で無意味な謎であるからだ。おそらくこの問題を真剣に考えた人はほとんどいないだろう。第二部 1章で示され、その後も何度かほのめかされる謎ではあるが、ほとんどの人は謎として認識すらしなかったはずだ。イタい妄想程度に読み取ったのではないだろうか。

ここで第三部 1章の冒頭を読んでみよう。

ほんとのことが知りたくて
嘘っぱちの中タイムスリップ
イルカが手を振ってるよさよなら
夢二と恋と俊太郎を
逆さに進むエピローグへ
君がわかってくれたらいいのに いつか

トリコが意識を取り戻す寸前に現れるこの文章が何かは作中では示されていない。
しかし、フリッパーズ・ギターのファンであれば、この文章が『ヘッド博士の世界塔』の1曲目「ドルフィン・ソング」の歌詞をもじったものであることはわかるだろう。 「逆さに進むエピローグへ」は元ネタにもある一節である。よく知られているように、『ヘッド博士』のラスト「世界塔よ永遠に」の終盤で「ドルフィン・ソング」のオープニングを逆再生したフレーズが流れ出す。つまり、1曲目で「逆さに進むエピローグへ」と歌われていたのは、ラストにある仕掛けについて歌っていたのだ。
……ということを踏まえた上で、『ドルフィン・ソングを救え!』を最後まで一旦読んでみよう。トリコはインターネット掲示板に、1992年以後に起こることを、可能な限り正確な日付で示しアップする。そして、そこには「201X年 日中戦争」とある。トリコは人類への警告の意味を込めて、テキストデータとしてインターネットに放流するのである。

201X年に日中戦争が起こること知っているトリコが1989年にタイムスリップした。結果、歴史を書き換えられることも可能な立場、神のような立場に唐突に配置された。……壮大で無意味な謎の答えはここに示されている。
では今度は、以上を踏まえた上で『ドルフィン・ソングを救え!』を読み直してみよう。すると、トリコ、引いては1980年代以降のサブカル少年・少女がいまだに引きずっているもの、そして、彼らがスルーしてきた/やりすごしてきたことを、樋口が指摘していることがわかるのではないだろうか。

この内、80年代以降のサブカル少年・少女がいまだに引きずっているものというのは、「イタさ」である。これは、本書の冒頭ではっきりと示されている。
売れているものを見下し、アンチメジャーを認め、「自分は人と違う」というアリバイのために、センスの良さそうな音楽を聴く。いっぱしに批評家を気取り、アマゾンのレビューに投稿する。たまに「参考になった」に投票があって、ちょっと嬉しくなる。

このイタさこそがサブカルの本質だとも私は思うが、ずっと引きずっていることが相当にイタいことであることをあらためて気付かされ、グサグサと心に突き刺さる。軽い悪意のようなものも感じてしまう。

それでは、1980年代以降のサブカル少年・少女がスルーしてきた/やりすごしてきたこととは一体何であろうか。

80年代以降のサブカルと政治と社会

1980年代以降のサブカルは政治と社会と距離を置いてきた――という点に異を唱える者はまずいないだろう。90年代の渋谷系ムーブメントなどは、私の感覚ではその点でさらに徹底していたと思う[5]ただ、小西康陽は90年代後半から政治との距離を縮めるようなそぶりを見せていた
だからだろうか、「音楽に政治を持ち込むな」という意見を唱える者を私の同世代ではたまに見かける[6]その問題については以前、ここで書いた。。社会を意識せず、差別問題や格差社会などとも距離をうまく取れないでいる。やりすごそうとしてる。それも80年代以降のサブカル少年・少女のある種のイタさであり、欠点となっている。
社会に大なり小なり働きかけることができるにもかかわらず、自分の手で自分に目隠しをし、“あの頃”やマイルームやマイブームに拘泥してきた私たちへの皮肉とでもいおうか。そういった批判めいたものも、本書にはあるのかもしれない。

もちろん、タイムリープものがエンタメとして多く作られ、望まれてはいる状況への疑問というのも動機としてあるだろう。危機を回避して大団円さえ用意できればそれで物語としてそれなりに完成してしまう、傑作になりえてしまうタイムリープものへの疑問、そういった物語が氾濫しているエンタメに対する疑問は、当然本書に織り込まれているであろう。文芸の世界の片隅でなんとか生きている私としてはそういったエンタメへの問題意識にももちろん反応してしまうのだが、それ以上にある世代のサブカル少年・少女と社会との距離感への問題意識に反応してしまうのである。渋谷系直撃世代のかつてのサブカル少年として。

さいごに

ドルフィン・ソングを救うために、本当のことを知ろうとするトリコを主人公とするサスペンス。あの頃を懐かしむ物語。『ドルフィン・ソングを救え!』はもちろんそういった趣向を持つエンターテイメントでもある。だが、痛烈に“あの頃の僕ら”にその立ち位置を問う一筋縄ではいかない物語でもある。だからこそ、この物語は憎たらしく、だけど愛おしいのだ。元ネタ探し的なところを越えて。

註釈

註釈
1 「ドルフィン・ソング」はフリッパーズ・ギターの3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』の1曲目のタイトルである
2 フリッパーズ・ギターに「ラブ・アンド・ドリームふたたび」という曲がある。なお、「もしあのままフリッパーズが続いていたらどうなったかな?」と問われた小山田が「『ラブ・アンド・ドリームふたたび』を洗練させた形になったのではないか」と答えたというエピソードもある
3 フリッパーズ・ギターの1st『海へ行くつもりじゃなかった』2曲目のタイトルは「ボーイズ、トリコに火を放つ」
4 ちなみにWarm Soundsというのはデニー・ジェラルドとバリー・ヤングハズバンドによるイギリスのソフト・サイケ・デュオ。1967~68年にかけて活動し、シングル数枚で解散した。デニー・ジェラルド自体は70年にリリースした『Sister Morning』で英ロック好きには知られている。なお、Warm Sounds自体は、67年全英27位のヒット「Birds And Bees」が有名。多重録音とサイケデリックな色合いということで、『ヘッド博士』そのものに通じる。
5 ただ、小西康陽は90年代後半から政治との距離を縮めるようなそぶりを見せていた
6 その問題については以前、ここで書いた。