どんでん返しのある風景~MV篇その1

どんでん返しのある風景~MV篇その1

『21世紀本格ミステリ映像大全』(原書房)において、テレビバラエティの章で素晴らしい仕事を成し遂げた秋好亮平さんが、Twitterに「『どんでん返しのあるMV』についても何かしら書かせてもらえば良かったかもしれない」と投稿していた。

ただ、もしそういう話があったのならば、元々音楽雑誌の編集者だったり、音楽ライターをやっていた私が挙手したかったところである。
というわけで(どういうわけだ)、今からいくつか、「どんでん返しのあるMV」を挙げてみよう。

まず、肩慣らしとして、MVではなく「どんでん返しのある曲」から。

プー・スティックス「On tape」(1988)

この曲の歌詞は次のような内容である。
主人公の「ぼく」は,、ギターポップスやソフト・ロックのレアなレコードを持っていることを自慢する。
たとえば、ポストカードからリリースされたオレンジ・ジュース「Falling And Laughing」のシングル。たとえば、パステルズの1stシングル「Song For Children」。モンキーズ『ヘッド』も持っていると自慢する。
しかし、ひとしきり自慢した後に「ぼく」は言うのだ。「On tape, I got it on tape」、つまり「テープでね。テープで持っているんだけどね」と白状するのだ。
オレンジ・ジュース「Falling And Laughing」なんて、本当にレアもレアで市場にもなかなか出回らない一枚だから、なんとなく気づくのは気づく。手がかりはちゃんとある。「どんでん返し」のお手本のような作品だ。

では、どんでん返しのあるMVを紹介していこう。

まずは、これ。

ポール・マッカートニー「My Brave Face」(1989)

冒頭、サラリーマン風な男が登場する。彼はカメラに向かって、ポール・マッカートニーへの愛を告白し、彼のコレクションについては日本一どころか世界一であると宣言する。そして、彼のコレクション自慢が始まる。一方で忍者が潜入し盗みを働くシーンが挟まれる。はたして……というものだ。

サラリーマンが忍者を雇うという設定、へんてこな日本人観が面白い。なお、小森健太朗が『大相撲殺人事件』を書くのは15年後のことである(関係ないぞ)。

ボブ・ディラン「Tight Connection To My Heart (Has Anybody Seen My Love)」(1985)

こちらも日本を舞台にしたPV。
原宿のホコ天や、今はなき六本木WAVEが登場する。終盤で倍賞美津子が大きくフューチャリングされていることでも一部で知られる、ある意味で伝説のPVだ。
このMVでディランは、訪日中に身におぼえのない殺人事件の容疑で捕まった男を演じる。真犯人を探す話のようなのだが、脚本がずさんなため、話はよくわからない。
ただ、京極夏彦の某作品で使われたようなトリックがどうも使われているようだ。一応、どんでん返しの範疇には入るだろう。だが、それはそれとして。ラストで見せるディランの変な踊りが一番どんでん返し……というオチはいらないですね、やっぱり。
なお、重要な役目を果たしている(っぽい)写真週刊誌は、当時の「フォーカス」のデザインを参照したものだろう。

なお、ディランといえば、近年のディランにはハードボイルド映画のタッチをそのまま取り入れた作品がいくつかある。中でもこれは強烈だった。

ボブ・ディラン「The Night We Called It A Day」(2015)

ドラマ「プロファイラー/犯罪心理分析官」でマローン捜査官を演じていた[1]『007 消されたライセンス』での麻薬王役も印象深いロバート・ダヴィも出演したハードボイルドもの。監督はナッシュ・エジャートン。
どんでん返しというには弱いが、愛憎と裏切りが短い時間でわかりやすく描かれている。

さて、次はストーリーではなく、仕掛けとしてのどんでん返しに注目してみよう。

ファーサイド「Drop」(1995)

監督はスパイク・ジョーンズ。本作はストーリーにどんでん返しがあるわけではない。趣向にどんでん返しがある作品である。
本作をまず再生すると、歌っている男たちが立ち上がり、歩き出す。彼らはとにかく街を歩く。それだけのMVだ。しかし、なにか動きが変だ。その内、視聴者はこのMVの趣向に気づく。どうやって撮影されたかに気づく。そう。逆再生で撮られたものなのだ。最後にガラス板の前に立ったあたりで真相は完全に明かされる。ガラス板を割るという描写が入ることで、この映像が逆再生したものであることがわかるようになっている[2]砕かれてできたガラス板の破片が元の状態に戻ることはないので

なお、このMVのメイキングも併せて観ると、このMVのすさまじさがわかる。

口の動きと歌詞とのズレを消すため、なんと彼らは撮影時に、わざわざ歌詞を逆さまに、たとえば「Keep」は「Peeki」と、ラップしているのである。そのために言語学者を同行させたというのだから恐れ入る。手の込んだ作品である。

チボ・マット「Sugar Water」(1996)

監督は『エターナル・サンシャイン』で知られるミシェル・ゴンドリー。
画面は2分割されていて、左右にそれぞれ女性(本田ゆかと羽鳥美保)が立っている。
すぐに右側は逆再生であることがわかる。
左側と右側は行動が逆のパターンでシンクロしている。左側の女性がベッドから起きれば、右側の女性は就寝するといった具合に。やがて、左の女性は外出する。一方で右の女性は帰宅する。
ここから先は見てのお楽しみである。「You Killed Me」と書かれた怪文書も登場するのだから、おだやかではない。奇妙な味の傑作である。

さて、ここで一旦小休止。
ミシェル・ゴンドリーが監督したMVで、どんでん返しを用いているわけではないが、ミステリ的な仕掛けがあるものを2本紹介したい。

カイリー・ミノーグ「Come Into My World」(2001)

MVは、クリーニング屋から出てきた女性(カイリー・ミノーグ)が抱えていた包みらしきものを落とすところから始まる。彼女は気づかず、そのまま歩いていく。街の風景、そこにいる人々が画面に映る。
すると、女性がまたさっきのクリーニング屋に戻ってくる。しかし、私たちはそこであることに気づくのだ……。

タイムリープものでも、パラレルワールドものでもなんでもいいのだが、とりあえずこれは1周目冒頭で「なぜ包みを落としたままでいくの? この後、この包みはどうなるの?」と視聴者にイメージづけることができなければ、2周目頭の驚きと納得は訪れないと思われるのだ。伏線の妙というやつである。

ケミカル・ブラザーズ「Star Guitar」(2002)

カイリー・ミノーグの曲同様、これもまた有名なMVなので、ご覧になったことがある方も多いかと思われる。
このMVはある“トリック”ひとつだけで引っ張ったものである。そして、その“トリック”は作品の冒頭から最後まで隙間なくみっちり仕掛けられている。観る者はMVのどこかでその企みに気づくはずである。わかりやすい箇所は何箇所もあるからだ。そして、気付いてからは楽しみ方が、「どう表現するのか」を楽しむ方向に変化するはずだ。
近年のミステリでいえば、深水黎一郎の『虚像のアラベスク』みたいな作品といえば、ミステリ・ファンにはわかりやすいだろうか。最後まで騙し通すことを念頭に置いて受け手にトリックを仕掛けるのではなく、受け手にどこかのタイミングで気づいてもらって作者の技巧を楽しんでもらうためにトリックを仕掛け続ける。そういう作品なのである。
ということで、ケミカル・ブラザーズ「Star Guitar」のMVを気に入った方には深水黎一郎の『虚像のアラベスク』も併せてお薦めしたい。

では、本線に戻ろう。
次は、逆再生もので、ストーリーにもきっちりどんでん返しがあるものを一本紹介しよう。

アルト・ジェイ「Breezeblocks」(2012)

男が頭を抱えている。浴槽が映る。そこには、女性の死体。なるほど、これは男が女性を殺したことを嘆いているのだなとわかる。次に男が女性を殺す様が描かれる。逆再生で何が起こったのかが説明される。しかし、次第にこの作品にはもう1人、女性が関わっていることがわかる。そして――逆再生していくことで、物語の構図は反転するのだ。これぞ正しく、どんでん返しであろう。

最後に紹介するのはこれだ。

コーネリアス「Tone Twilight Zone」(2001)

指がまず映る。指を人間に見立てて、部屋の中を歩かせているのだろうと気づく。指の視点による冒険譚が始まる。酒に酔ったり、飛び跳ねたり、机の上を滑ったり。表情も豊か(なように見えてくる)。指くんはなだらかな丘陵を登っていく。そして……。
視点主人公の交代劇という意味でのどんでん返しだと思うが、いかがだろうか。

とりあえず、今ぱっと思い浮かんだものでざっと簡単に書いてみた。また、いつかやるかもしれない。

註釈

註釈
1 『007 消されたライセンス』での麻薬王役も印象深い
2 砕かれてできたガラス板の破片が元の状態に戻ることはないので