ポール・スティール『april & I』

ポール・スティール『april & I』

イギリスはブライトンの20歳の若者、ポール・スティール。コーネリアスのロンドン公演でサポートを務め、昨年7月のフジ・ロックにはコーラス2人,ベース,ドラム,ギターの計5人を従えて出演、と日本のポップ・カルチャーとは少なからぬ縁があるようだが、私は昨夏の時点では残念ながら知らなかった。
最初に彼の存在を知ったのは、昨年12月。ポール・スティールが2007年にインディーズでリリースした『april & I』というアルバムからこの2曲を聴く機会がたまたまあって、そこで初めて彼の音楽に触れたのだった。

コーラスのヴォイシングといい、ピアノの使い方といい、メロディーといい、まるで“親戚の子”に出逢ったような感じを受けたのだ。もっと言ってしまえば、ブライアン・ウィルソンに影響を受けたと思わしき音楽。
手触りとしてはジェリーフィッシュやXTC、オブ・モントリオールなどのひねくれポップスを思い出す人も多いだろうけども、やはり私は断然ブライアンを想起させられた。ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』やブライアンの04年版『スマイル』を通過しなければ、生まれ得ない音楽というか。
1曲だけしか聴かなかったが、ジャケットに描かれたaprilと「僕」の絵にも惹かれて、必死になって探した。なにせ、ジャケット写真を見ればわかるように、手をつないだaprilと「僕」がタイトル文字によってハート型になっている時点で、これがどういうアルバムなのかは全て聴かなくても解るわけだから。
そして、一昨日、ようやく入手したわけだ。

ブックレットは付いてないものの、『april & I』の世界観をガイドする絵本がCDに付いている。というよりは、絵本を組曲にしたものが『april & I』というべきか。ゆえに、絵本を読みながら、CDを頭から聴くのが作法というものだろう。

アルバム1枚を通して歌われているのは、大人になってイノセンスを喪失することで別れることになった「僕」とaprilの話。この時点でピンと来た方もいるかも知れないけども、この「少年と少女のイノセンスの喪失」というテーマは、ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』のそれと同じものだ。
――つまり、無垢を賛美し、その喪失を嘆くということ。
ブライアンが1966年に『ペット・サウンズ』において描いたテーマを、ポール・スティールも2007年に『april & I』において描いたわけだ。これが私には美しく感じられた。
『ペット・サウンズ』的な音を技巧的に模倣したレコードは多数あるが、その精神性にまで接近したレコードというと実はそんなにない。そこをきちんと理解した上で、「僕」とaprilの出逢いと別れを描いたことが、ブライアンのファンでもある私には嬉しく感じられたのだ。
いろいろ調べてみると、他にも嬉しい事実が出てきた。ポール・スティールの動画がyoutubeにいくつかアップされているのだが、その中に興味深い動画があったのだ。テレビ番組に出演した時の映像らしいのだが、ピアノの弾き語りでビーチ・ボーイズの「サーフズ・アップ」を歌っているのだ。

これだけでピンと来た方もいるとは思うが、1967年4月にバーンスタインがホストを務める番組にブライアンが出演した際に弾き語りで歌ったのが同曲なのだ。おそらくポール・スティールは前述の映像を意識して「サーフズ・アップ」を歌ったのだろうけども、こういう演出がいちいちにくくて、そして嬉しくなる。

まあ、ブライアン云々を抜きにしても、『april & I』で描かれる世界観は本当にかわいくて、そして切ない。そこは、音楽にプラスして、絵本の絵が非常に雄弁だからこそ、こちらに分かり易く伝わってくるわけだが。
『ペット・サウンズ』におけるトニー・アッシャーの役目を、この絵本が果たしているのは明らかで。表現者としてのポール・スティールのパフォーマンスというのは、そのキラキラしたポップ・センスだけではなく、この絵本も込みで捉えるべきだと私は思う。
しかし、まあ、なんと言うのかなあ。恐るべき子供たち、とでも言うべきか。それとも、神をも恐れぬ、とでも言うべきか。こういう作品を作り出せるのは若さゆえの特権かもなと。そこは強く感じさせられた。
とりあえず、まだまだ僕の中では熱が膨張し続けているというか。冷静にレビューできないことが悔しくもあるのだけれども。素晴らしいレコードを、運良く入手できたことを今は素直に感謝したい。