『ロンバケ』40周年と、「ジャーロ」No.75に掲載された記事について

『ロンバケ』40周年と、「ジャーロ」No.75に掲載された記事について

周囲では、皆、『ロンバケ』40周年で盛り上がっているけども。もちろん、僕も盛り上がっている。毎日爆音で聴いている。何度も。
今回は一番デカい箱は買わず(どうせ、後で高い値段で買う羽目になるんだろうなあ)、2枚組で我慢。確かにレコーディング・セッションは聴きたい。でも、結局、そういう音源って、一度聴けばいい方で繰り返して聴くことは少ないように思う。繰り返し聴いたセッション音源なんて、『ペット・サウンズ』と『スマイル』、あとはディランの『ザ・カッティング・エッジ1965-1966』ぐらいか?――そんなわけで自制して2枚組を買った次第だ。

今回のリマスター、実は僕は高をくくっていた。『ロンバケ』は20周年盤も30周年盤も出ているわけだから。ところが、Disc2を聴いてぶっ飛んだ。大滝さんがDJ形式で『ロンバケ』について解説する『Road to A LONG VACATION』が、とにかくよかったのだ。かつてCRTで行われていたナイアガラ・ナイトみたいなゆるい雰囲気で、『ロンバケ』の秘密が明かされていく。「ああ、同時期に書かれたあの曲は『ロンバケ』のあの曲と繋がるわけか」とか。そういうのがどんどん本人の口によって語られていく。あらかじめ答えを知っているものもある。でも、本人による答え合わせを、本人の声で聴けるというのは格別だ。ひとりのヘヴィな音楽リスナーとして満たされるような思いをした。

私事になるけども。以前、僕が『生ける屍の死』の“リマスター”作業に関わったときのこと。山口雅也さんご本人の口から「キッドとチェシャが冒頭で霊柩車に乗っているシーンは、ニール・ヤングとスティーヴン・スティルスと出会った際のエピソードだよ」とうかがったときのことを思い出した。あのときに抱いた感情に近い。
答え合わせをすることで、長年抱いていた「あれはそういうことなのかな?」がはっきりしていく様は、とにかく気持ちよかった。
今回の『ロンバケ』2枚組のDisc2は、そういう感覚をずっと体験できる一枚。ポップスが好きで、とにかく『ロンバケ』が好きな人ならば、確実に楽しめる一枚になっている。

しかし、ヘヴィな音楽リスナーならば、「あれはそういうことなのかな?」を日頃から多く抱えているのではないかと思う。
それこそナイアガラのファンや、かつての渋谷系リスナー、あるいはオールドスクールなヒップホップの熱心なファンならば、いわゆる元ネタ探しをしながら聴く楽しみについて、わかってくれるものと思っている。
僕が〈謎解き小説〉よりも〈秘密を明らかにしていく小説〉の方に断然心惹かれるのは、おそらく、そういった体験をそれこそ小学生の頃からしてきたからであろう。
秘密を明らかにしたいという執念。それこそ足を使って、レコード屋を周り、片っ端から証言(=レコード)を集めてまわる。――僕の読書嗜好は、そういった体験に起因するのではないかと、今は思っている。

「あれはそういうことなのかな?」は大体の場合、自分ではっきりさせることはできない。当事者の発言が出てくることも、そうそうあることではない。大抵の場合、「レココレ」のような雑誌で識者が打ち出した見識を読んで、「ああ、おそらく俺は正解に近いところにいるな」と思って安堵するぐらいだ。
「秘密が完全に明らかになることはない。謎が解けると思うな」――そうやって最初からわきまえている。この辺も僕の読書嗜好に反映されているのかもしれない。

ただ、編集者という仕事をして、ライターみたいなこともやっていると、ごく希に「あれはそういうことなのか?」の答えをもらえることがある。本人の口から真相を聞けることもある。
前述の山口さんのインタビューなんかはまさにそう。本人に直接質問を投げられる機会をいただければ、そこで答え合わせができるわけだ。だから、インタビューというのは、すごく贅沢な時間だと思っている。作家の時間をいただいて、実の本人に答え合わせをお願いできるんだもの。

実は、僕が「ジャーロ」(光文社)でやっている「バスルームで小説を書く100の方法」という連載もそう。「この人はなぜこんな書き方をしているのか。なぜ、あんな機材を使っているのか。それはひょっとしてこういうことなのかな?」を直接本人に答え合わせできるからだ。
たとえば、天祢涼さんの場合。『あの子の殺人計画』は、それまでの天祢さんの作品にないぐらい、伏線が実に巧妙にはられていて。もちろん、天祢さん自身の技術的な鍛錬によってそういう作品が実現したのだろうけども。「作品作りをサポートするような書き方を天祢さんがあらたに導入したのではないか?」――そう思っていたら、インタビュー中に答え合わせできちゃったわけだ。
何が『あの子の殺人計画』の緻密な構成に寄与したのか。その答えはもちろん――3月26日に発売になる電子雑誌「ジャーロ」2021.MARCH(No.75)に掲載されているので、そちらをお買い求めいただければと思っている。

というわけで、ミステリ文芸誌「ジャーロ」No.75に、遊井が企画・編集を担当する連載「バスルームで小説を書く100の方法」の最新エピソードが掲載されます。

ミステリ作家がどんな環境で小説を書いているのか。どんな道具を使って物語を作っているのか。――「バスルームで小説を書く100の方法」は、一人の作家を文化的な背景からではなく、使ってきた機材から捉えるドキュメンタリー企画である。インタビューを通じて、作家が使った機材を明らかにするとともに、小説の書き方を探っていく。
第13回目となる今回のゲストは、前述したように天祢涼さん。以前にも天祢さんには連載にご登場いただいたが、この2年で執筆環境が結構変わったという話は聞いていたので、どう変わったのかをうかがった。コロナ禍でなにか影響はあったのか。そういったことについても聞いてみたので、ご興味のある方はぜひぜひ。

なお、天祢涼さん御本人のブログでも、同連載について触れられているので、併せて読んでみてください。

しかし、天祢涼さんも仰っているが、「作家志望者はもちろん、作家のファンやプロにも需要があるはず」。天祢さんは「たくさん売れるでしょう」と仰ってくれているが、それはもう神のみぞ知る。いずれは実現すればいいなとは思っている。

今回で3周年を迎えた本連載。過去13回のゲストはこんな感じだ。

第1回 明利英司さん/第2回 芦辺 拓さん
第3回 青崎有吾さん/第4回 天祢 涼さん
第5回 小森健太郎さん/第6回 北山猛邦さん
第7回 岡崎琢磨さん/第8回 今村昌弘さん
第9回 深木章子さん/第10回 一田和樹さん
第11回 西尾 潤さん/第12回 呉 勝浩さん
第13回 天祢 涼さん/第14回 森 晶麿さん

あれ? 次回の名前も明かしちゃった。
――とまあ、こんな感じで、豪華なラインナップでしょ?
連載ではページ数の関係もあって削らざるをえなかった話もたくさんあるし、そろそろいかがでしょうか、光文社さん。
ここで言うなって話ですが(笑)、私個人としてもまとまったものを読んでみたいです。そんな日が来ることを祈っております。