いまでも渋谷系のことばかり考えている人のために。~『平成ストライク』を捧げたいのは

いまでも渋谷系のことばかり考えている人のために。~『平成ストライク』を捧げたいのは

昭和55年生まれ。平成育ち。北九州市生まれ、渋谷系育ち。それが僕だ。
平成31年に僕は平成をテーマとするアンソロジーを編んだ。平成に愛着が湧いたのは昨年のことだけど、平成を追悼するアンソロジーを編んだ。
編むにあたって決めていたことがある。様々な個性ある作家が参加するアンソロジーではあるが、渋谷系を文化的出自とする僕の文集にしよう、ということだ。

なお、『平成ストライク』の内容については、こちらをご参照いただければと思う。
以前、当ブログで書いたものだ。

たとえば、表紙

表紙については、様々な方から「ミステリの本らしくない」と言われたが、それは当然。ミステリの本らしくないものを目指したからだ。
思い起こしてみると、僕がかっこいいと思う本はミステリにはそんなになかった。デザインが好きで買ったものはほとんどない。
以前、とある新本格ミステリ系の評論家と作家が、ノベルスという形態がなくなることを惜しんでいたけども。僕はノベルスがなくなることに関しては、むしろ歓迎しているぐらいで。だって、物体としてポップじゃないんだもの。僕がいまだに新本格嫌いなのは、新本格初期のノベルスがひたすら物体としてダサかったからに他ならない。
といっても、ノベルスにもかっこいいものはある。西尾維新〈伝説〉シリーズと、〈オーヤブ・ホットノベル・シリーズ〉1)新装版の黄色背表紙のやつもたまらん。それだけは別。本棚に並べたくなっちゃう。

――という具合で、僕の好むデザインはミステリ・ファン、特に新本格以降の“読書子”とは決定的にズレている。だったら、自分が好んできたレコードや映画のポスターやパンフレット、雑誌の表紙といったものから引用してくればいい。「こういう路線でお願いします」とデザイナーの坂野公一さんに渡した方がいい。そう思ったから、ああいうデザインになったのである。

たとえば、中身

はっきり言えば、中身には元ネタがある。中身といっても、装幀のこと。ボブ・ディラン『モダン・タイムス』『トゥゲザー・スルー・ライフ』の名前は以前挙げたことがあるけども、今回のテーマはずばり、野上眞宏『はっぴいな日々』だ。

僕とカメラマンの山崎くんは大学時代、はっぴいえんどのコピーバンドをやっていたことがある。彼との最初の会話も覚えている。お互いに名乗る前に、鈴木茂『バンドワゴン』について、まず話したのだ。今からちょうど20年前のこと。東京外国語大学のサークル棟でのことだ。
『はっぴいな日々』は僕たちの共通言語だ。今年2月、おでん屋で山崎くんと飲みながら写真をどうするかを話し合っていたとき、僕らの会話は自然と『はっぴいな日々』に及んでいた。『はっぴいな日々』を精神的なルーツとして、それこそMORALE BOOSTERとして、僕らは方向性を固めていったのである。

たとえば、年表

今回、巻末には年表を収録した。この年表は、あくまで僕が過ごした平成の年表である。だから、『シン・ゴジラ』も京極夏彦もももいろクローバーZもUSJも年表には出てこない。一応、一般性も加味して「エヴァンゲリオン」や「けいおん!」といった名前は入れたが、他に優先すべきものを思いつかなかったから入れただけだ。
年表を入れようと思ったのは、平成を総括するような本だから、という理由からではない。アンソロジーを収束させるには、あれ以外なかったからだ。
あとがきを書くというのは考えた。実際書き出したことはあった。しかし、第一章だけで、原稿用紙50枚程度になってしまったので、断念した。渋谷系を文化的出自とする僕が、平成をどう捉え、平成とどう折り合いをつけてきたか。その結果、僕はどういう出会いをして、今こんな本を作っているのか。それを示そうとすると、どうしても長くなってしまう。だから、年表を載せることにしたのだ。
これには実は元ネタがある。2015年に世田谷文学館で行われた「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」という展示がそれだ。その中に、岡崎京子の年表があった。ばるぼらさんが作成したものだ。その年表は、〈岡崎京子のできごと〉、〈文化〉〈社会〉という3つの時間軸が並列で掲示されるものだった。バブルの時代・平成の時代を岡崎京子がどう生き、どう受け容れられてきたかが、すごく立体的に見えてくる素晴らしいものだった。この手法しかない、と僕は思ったのである。
渋谷系を文化的出自とする僕が、どう平成と折り合いをつけてきたのか。それを優先した。純然たる年表であることはほとんど意識しなかった。むしろ、あまり意識しないようにした。そういう取捨選択こそが、渋谷系の編集術だと思う。
なお、年表に関しては心残りがいくつかある。馳星周『鎮魂歌』(平成9年)、小西康陽『これは恋ではない』(平成8年)、パチスロ「北斗の拳」(平成15年)、アニメ「AKB0048」(平成25年)の名前は入れたかった。

たとえば、小説

自作についても書いておく。
今回、寄稿した「bye bye blackbird…」は渋谷系をテーマとしたものだ。渋谷系の精神みたいなものを小説に込めることにした。「仏つくって魂(ソウル)入れず」と思われる方もいるかもしれないが。
舞台は1999年12月25日。あの頃、渋谷系は終わったと言われていた。とっくの昔にそう言われていた。そんな1999年をわざわざ選んで渋谷系を描こうと思ったのには理由がある。それは、渋谷系の精神みたいなものを描くのには、それが一番好都合だったからだ。

ここで、話が少し変わる。
5月に復活号が出る「egg」の現編集長、赤荻さんが以前、こんなことを仰っていた。

たしかに街を歩いていてギャルに出会うことは少なくなりましたね。ただ、消えてしまったわけじゃないんです。ギャルはSNS上にいます。
基本的に最先端を追いかけるのが好きな子たちなので、Instagram や動画アプリ「Tik Tok」など、気軽に投稿できるSNSに写真とか動画をアップして楽しんでます。ギャルの表現の場がストリートからSNSに移行しただけなんですよ

渋谷系も同じだと思う。
だって、今もTwitterで渋谷系の話で盛り上がっている人たちっているでしょ? 小沢健二さんのツイートにざわついたり、「#ozkn」で盛り上がったりしているでしょ? 野宮真貴さんが毎日してるツイート「東京は夜の七時♪」に必ず「いいね」がつくでしょ? だから、多分、渋谷系は死んでいない。今もSNSでなんとなく漂っている。
――ということを、僕は書きたかったので、1999年12月25日を舞台として、さして意味のない話を書いた。ミステリを描きたかったわけではない。ミステリという形式を使って、思いついたフレーズを繋げていき、渋谷系について真面目に書いただけだ。
渋谷系をテーマとして扱うからには、手法も渋谷系でなくてはならない。だから、僕は手法としての渋谷系を小説でやった。多分、これについては、渋谷系と括られがちな音楽を好きだった人なら気づくはずだ。……きっと、こういった姿勢こそが、「仏つくって魂(ソウル)入れず」にあたるのかもしれない。

さいごに

編集者だから、この本をどういう人に読んでほしいかというのは当然考える。毎日考える。いくつか答えはあるけども、今日の僕はこう答えるだろう。
この本は、「渋谷系」という言葉を聞いて感傷的になっちゃってる自分を照れくさく感じるような人たちにこそ読んでほしい、と。渋谷系のアティテュードに影響を受けた人たちに読んでもらいたい。

ところで、「ケトル」vol.48の渋谷系特集にこんな言葉がある。

独自の視点を持ったキャラクター性こそ、ムーブメントの源泉。それぞれが審美眼を持ち、好きなものを組み合わせて表現した時代、それが渋谷系なのです。

これって、もちろんモッズにもあてはまるし、ギャルとかヤンキーとかにも当てはまると思う。そういった渋谷系と地続きな人たちに僕はシンパシーをおぼえるし、だから、そういう人たちにも読んでもらいたい。
話が長くなった。要約しよう。この本は、「渋谷系」やギャルをはじめとした、独自の審美眼を持ってストリートを生きてきた人に読んでもらいたい。心からそう願っている。

註釈   [ + ]

1. 新装版の黄色背表紙のやつもたまらん

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