「龍が如く0」から見る80年代ポップカルチャー史~あるいは、90年代と「ゴーマニズム宣言」について

「龍が如く0」から見る80年代ポップカルチャー史~あるいは、90年代と「ゴーマニズム宣言」について

随分出遅れてしまったが、「龍が如く0」に最近ハマっている。

ゲーム「龍が如く0」が描いたもの

「龍が如く0」は1988年を舞台とする。だが、そこでパロディ的に描かれるのは、エリマキトカゲ、キョンシー、ミニ四駆、個室ビデオ、(まだバラエティ番組の出演者でしかなかった)オウム真理教、テレクラ、マハラジャ、ドラクエ3騒動、ねるとん、ポケベル、そして消費税導入直前の空気など。1988年に限定されたものではなく、1985年から93年にかけてをざっくりと〈80年代的なもの〉として扱っているのがわかる。
私の感覚としてはこの期間が〈80年代的なもの〉として描かれることには異論はない。むしろ一致している。文化的には1985~93年が〈80年代的なもの〉であろう。 となると、ポップカルチャー的に考えれば、「龍が如く0」には80年代の総決算というのがテーマとして設定されているのかもしれない。

ここで、もう一歩先に考えを進めてみよう。 ポップカルチャー史(この場合は便宜上、サブカルチャー史といってもよいが)を考えた場合、〈00年代的なもの〉は、携帯とインターネットの普及以後、つまり2000年以後の気分を指すという見解はおそらく間違っていないであろう。すると、スマホの普及以後(2010年秋以降、あるいは2011年以降)がポップカルチャー史上における〈10年代〉ということになる。……ということは、この区分けでは、〈90年代〉は1994~99年のたった5年程度ということになる。

偶然かもしれないが、この5年間は小室哲哉の絶頂期と符合する。さらにいえば、阪神大震災もオウムのテロも、渋谷系がメディアで騒がれたのも、「リング」のヒットも、『完全自殺マニュアル』が刊行されたのも、コギャルも、ドーハ以後からフランスW杯出場までも、「電波少年」も、「エヴァンゲリオン」も「少女革命ウテナ」も「攻殻機動隊」も「カウボーイビバップ」も、岩井俊二もウォン・カーウァイもクェンティン・タランティーノも、裏原も、ポケットモンスターも、エアマックスやG-SHOCKやたまごっちも、つまり90年代のポップカルチャーを象徴するような事象、影響を与えたような事件はこの5年間に集中している。

ここで、忘れてはならないのが、小林よしのり「ゴーマニズム宣言」だ。94~99年といえば、「SPA! 」から「SAPIO」に連載誌を移していく中で『差別論』(95年)、『脱正義論』(96年)、『戦争論』(98年)を刊行していた時期にあたる。

小林よしのりと90年代の気分

やや脱線するが、ここで小林よしのりから90年代を簡単にだが読み解いてみたい。

小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」で行ったことのひとつは、80年代的なものへのカウンターである。そしてそれは脱おちゃらけとも言い換え可能だ。

さて、小林はかつて薬害エイズ問題で活動する学生たちを「純粋まっすぐ君」と揶揄し、「日常へ帰れ」とさとそうと、いや激しく叱咤した。正義を振りかざす危険性を訴え、運動に埋没することに警鐘を鳴らし、日常へ戻るべきだと唱えたのだ――一見もっともらしいことを言っており、小林は90年代においては支持された。“バランスを維持しながら俯瞰で語るスタンス”は、80年代的な“おちゃらけつつ冷笑するスタンス”を乗り越えて、スマートなものに映ったからだ。「ダサい」「ネクラ」といった直接的な揶揄ではなく、「純粋まっすぐ君」と〈一見するとキャッチー〉な方向にまとめて揶揄しているのもウィットに富んでいるように映ったからだ。

時は移って2015年。SEALDsが活動する中で、彼らに「日常へ戻れ」と、かつての小林のように叱咤する者たちをネット上で何度か見かけた。そういう者たちは、運動もまた日常にあることに気づけていない。SEALDsを批判しようとするならば、その切り口ではもはや対応できない、時代遅れであるということにも気づいていない。しかし、スマートにまとめている分、いまだにもっともらしく見えてしまうようで、同調する者も現れていた。

90年代的な気分は90年代において80年代的な気分を一度は切断したが、80年代的な気分はパロディのような形で今も残っている。10年代においてサヴァイヴしようとする者たちにとってより厄介なのは、しぶとく生き残っている〈80年代〉ではなく、一見それらしい物言いでまとめようとする〈90年代〉ではないかと、私は思う。

セガとポップカルチャー史

話を戻す。「龍が如く0」では1988年として取り扱われている1985~93年というのは、セガ史でいえば、彼らが世界初となる体感ゲーム機「ハングオン」をリリースして、先鋭的な家庭用ゲーム機をリリースし、「バーチャファイター」や「バーチャレーシング」まで出していた頃であり、先鋭的であることを是とした頃に該当する。

ちなみに、〈90年代〉、つまり1994~99年は、セガサターンとドリームキャストを発表し、対世間に大きく打って出た時代になるわけだ。ここで注目すべきは、「龍が如く」シリーズの元となる「シェンムー」が出たのは99年12月だということだ。
ひょっとすると、80年代以降のセガ史が日本ポップカルチャー史とリズムをともにしていたことを示唆するのも「龍が如く0」のテーマだったのかもしれない……というのはさすがに言い過ぎであろうか。――うん、言い過ぎだ。