東京外国語大学ミステリ研究会について

東京外国語大学ミステリ研究会について

東京外国語大学には、かつてミステリ研究会があった。20年近く前のことだ。
同サークルは大学1年目に設立され、私は2代目の部長にして、最後の部長を務めた。

さて、日本のミステリ業界は大学のミステリ研究会出身者で成り立っているわけだが(誇張しすぎ)、となると大学ミス研についての研究がいずれはちゃんとなされるだろう。
東京外大ミス研は泡沫も泡沫だったわけだが、一応、史料的なアレを考慮して、今回はその頃のことを書いておこうと思う。

外大ミス研がスタートするまで

大学一年目。フランス語科にいた私はいろんなサークルをうろうろしていた。
そんな中、比較的、足を多く運んでいたサークルのひとつに文学研究会があった。
文学研究会の部長はロシア語科のMさんという方であった。Mさんはミステリが好きで、特に京極夏彦さんのファンだった。『鉄鼠の檻』ノベルス版のサイン入り本を自慢されたこともある。Mさんは創作もされていて、大学4年時に乱歩賞の一次予選を通過していた。

私が文学研究会(以下、文研)に入部したのは、1999年7月のこと。入部時にMさんに「どういう小説が好きなのか?」と聞かれた。
三島由紀夫と室生犀星の名前を私はまず挙げ、エルロイとブコウスキー、チャンドラーにヴァクス、矢作俊彦さんや馳星周さん、松本清張さんといった方を列挙していった。また、山口雅也『生ける屍の死』を五十回以上読んだ作品として熱く語った記憶もある。
Mさんは「ミステリが好きなの?」とすごく嬉しそうに聞いてきて、以来、私はMさんになにかと目をかけてもらうようになった。

Mさんからミステリ研究会を作ろうと思っていると打ち明けられたのは10月頃だった。
当時、文研にはミステリを日常的に読んでいる人間が、Mさんと私以外に3人いた。3人とも新本格が好きで、1人は北村薫さんの大ファンだったように記憶している。残り2人は、いわゆるメフィスト系を好んで読んでいた。
同年11月、Mさん、私、北村薫好きの先輩、メフィスト系な2人の5人で、ミス研は立ち上げられた。部長はMさんだった。

ミス研が最初にやったのはアンケートだった。
「あなたが読んできたミステリでベスト10を挙げてくれ」みたいなもの。集計をとって、「外大ミス研が選ぶミステリBEST10」みたいな感じで、11月末に行われる学園祭で発表する――という企画だった。
クリスティ『アクロイド殺し』が一位を獲得したのは覚えている。私はエルロイ『ホワイト・ジャズ』を1位に挙げたはずだ。

ミス研としての目立った活動は翌年4月までなかったが、文研が週2で行っていた読書会でミステリ(高村薫『照柿』と馳星周『鎮魂歌』)を取り上げて、文研部員に対して勧誘っぽいことを仕掛けたことはあった。

外大ミス研、キックオフ

00年4月。Mさんは外大の大学院に進学。Mさんから禅譲される形で、私が文研とミス研の部長に就任することになった。
部長を任されることは99年12月時点ですでに私には伝えられていた。私は快諾したが、やや不安だった。というのも、私と他のメンバーとの間には「新本格」という溝があったからだ。

私は純然たるミステリマニアではない。「ミステリも多く読むアメリカ音楽好き」というのが立ち位置としては正確だ(20年前も今も、そこは変わらない)。当時は本格が苦手で、読むのをなんとなく避けていた。ミステリマニアであれば教養として新本格も読んでいたのだろうが[1] … Continue reading、そういう体系立てた読書を私はしていなかった。しかし、部長となるからには、部員との溝を埋めるために新本格を読むしかない。そこで覚悟を決めて、片っ端から読むことにした。
ここで問題があった。今もそうだが、私は基本的に書評家やミステリ評論家の文章を読まない。ブックガイドとかも手に取ったことがない[2]例外はある。小林信彦さん、植草甚一さんが書いたミステリに関する文章やブックガイドだけは好んで読んでいる。ゆえに、どこから読めばいいのか、まるでわからなかったのだ。
仕方がないので、「このミス」のバックナンバーを引っ張り出してきて、ランキングに入っていた本格系を片っ端から読むようにした。詰め込み教育もいいところである。

3ヵ月に亘る猛特訓の甲斐あってか、新年度のスタート時には3人と話を合わせることができるようになっていた。新入部員も1人迎えることができた。森博嗣さんと麻耶雄嵩さんのファンで、メフィスト系を愛読していた。
ここはひとつのポイントかもしれないが、当時の外大ミス研は、私以外は皆、新本格が好きだったということになる。

4月以降、ミス研は週1で読書会を開催するようになった。Mさんもたまに顔を見せた。新入部員へのサーヴィスの意味で、4月・5は麻耶雄嵩さん、森博嗣さんの作品を読書会で多く取り上げた。他にはクリスチアナ・ブランド『ジェゼベルの死』とかも取り上げた。私が好きだったハードボイルド小説やノワール、冒険小説は避けた。

読書会では1冊の本を肴に皆が語り合うわけだが、大体途中で脱線して、『ハサミ男』や『どんどん橋、落ちた』の話になることが多かった。そもそも論として、あのときにいたメンバーでミステリの読書会に参加したことがあるのはMさんと新入部員だけだったのではないだろうか。私にしても、現在までミステリの読書会に参加したのは外大時代だけで、今も読書会というものがどういうものかがよくわかっていないほど[3]というか、私の周囲にはミステリマニアの友人が今までいたことがないので、ミステリマニアの文化みたいなものがいまだにわからないのだ。皆、どうすればいいのかわかっていなかった感はある。
だから、本の感想を言い合って、場がもたなくなったら無駄話をして、万策尽きたら飲みに行くという会にしかならなかった。
そうこうする内に、新入部員さんは部会(読書会)に顔を出さなくなった。皆、どうすればよいのかがわからなくなり、飲み会だけが行われるようになり、外大が巣鴨から多磨に校舎を移転した9月末には活動を停止していた。

一応、確かに存在した

以上が外大ミス研の歴史になる。

部として定着しなかったのは、大学ミス研的な文化を知る者が部内にほとんどいなかったことが原因としてあるだろう。そういった文化は、通常、先輩から後輩に受け継がれるわけだが、新設の外大ミス研にはそんなものはなかった。Mさんの学年が1つ下であれば、つまり96年度入学ではなく97年度入学であれば、事情はまた違ったかもしれない。

そんな感じで、外大ミス研については、ほろ苦い記憶しかないわけである。

註釈

1 私はプログレは嫌いだが、教養として聴いてはいた。マニアって、そういう「教養として」好きではないものにとりあえず触れておくということがあるとは思う
2 例外はある。小林信彦さん、植草甚一さんが書いたミステリに関する文章やブックガイドだけは好んで読んでいる
3 というか、私の周囲にはミステリマニアの友人が今までいたことがないので、ミステリマニアの文化みたいなものがいまだにわからないのだ

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