「ボカロPの同時多発的誕生と21世紀のブリル・ビルディング論」【最終改訂版】

「ボカロPの同時多発的誕生と21世紀のブリル・ビルディング論」【最終改訂版】

2012年12月にブリル・ビルディング・ポップスとボカロ音楽を対比させ、そこから論考する評論をボカロ批評同人誌『VOCALO CRITIQUE』Vol.06に寄稿した。ちょうど2年半ほど経ったこともあるし、アメリカン・ポップス・ファンの方で拙稿を読みたいという方もいるようだったので、今回増補改訂版を以下に掲載することにする。
同原稿に関しては、2012年の11月に書かれたものなのでデータ的に古くなってしまっている部分もあるが、そのまま掲載させていただいた。
なお、同論の発表時は、萩原健太氏のアメリカン・ポップス方面での音楽評論に対してのオマージュをボカロ評論でやりたかったということもあり、萩原健太氏の文体を“トレース”して同人誌「VOCALO CRITIQUE」に発表したのだが、一種のパロディであるということに気づかずに「『~だが。』『~で。』で止める文体が読みづらい」と指摘する方もいたので、この最終改訂版では修正させていただいた。 

「ボカロPの同時多発的誕生と21世紀のブリル・ビルディング論」

1.ブリル・ビルディング・ポップスとは

1955年のビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツによる「ロック・アラウンド・ザ・クロック」以降、一九六四年のビートルズによる全米侵攻直前まで。約10年間。ロックンロール以降のアメリカン・ポップスは黄金時代を迎えることとなった。
当時は自作自演の歌手はポップスの世界ではほとんどおらず、レコード会社やプロデューサーは音楽出版社を回るか、複数の作曲家チームに曲の制作を発注することで曲を集め、そこから「オーディション」する形で楽曲を選定、それを歌手が歌ってシングルとして発表する[1] … Continue reading、、というのが当時のよくあるレコーディング方式だった。[2] … Continue reading


ロックンロールの誕生以降、正確に言えば45回転ドーナッツ盤が普及し始めた1954年以降、レコード会社はロックンロールの感覚を持った楽曲(つまり、ティーンエイジャー向けの曲)を量産できる体制を必要としたわけだが、1958年にドン・カーシュナー(2012年4月15日にロックの殿堂入りを果たした)によって設立された音楽出版社「アルドン・ミュージック」は多数の作曲家チームを発掘し彼らを職業作曲家として雇うことで、レコード会社側のニーズに対応した。職業作曲家の多くはリスナーと同世代のティーンエイジャーであり、同世代の若者が共感しやすい価値観や言葉を持つ曲を量産していった。黄金時代のアメリカン・ポップスを支えたのは、彼らティーンエイジャーのソングライター・チームだったのである。なお、アルドンのような音楽事務所が多く集まって入っていたビルが、ニューヨークの1619ブロードウェイにあったブリル・ビルディングであり、ゆえに、この時代に同所で生まれたポップスは「ブリル・ビルディング・ポップス」と呼ばれるようになった。
ところで。ビートルズの登場以降、ポップスを取り巻く環境は大きく変わっていくこととなる。自作自演の歌手たちこそが尊ばれ、ロックンロールはロックと呼ばれるようになり、音楽性に関してもアルバム単位で論じられることが一般的になっていったのだ。ブリル・ビルディング・ポップス自体のブームも終わり、黄金時代を支えていたソングライターたちも自作自演のシンガー・ソングライターに転向するなどして、時代をサヴァイヴしていくことになった……以上が、アメリカン・ポップス黄金時代の簡単なあらすじである。 

2.ブリル・ビルディング・ポップスはなぜ黄金期を迎えたのか

さて。アメリカン・ポップスが黄金時代を迎えるにあたって、何が要素として必要不可欠であったかを考えるに、筆者は以下の3点ではないかと推察する。

  • レコード会社と若いリスナーからのニーズに応えた曲を量産できる作曲家チームの存在
  • 作曲家チームが日常的に「オーディション」されることで互いに切磋琢磨できる環境
  • 音楽を手軽に再生・共有できるメディアとしてドーナッツ盤が普及していたこと

まず、1点目。これに関しては既に説明したことであるし、ここでは説明を省く。
次に2点目。「オーディション」が日常的に行われることで、またそこで盛んに交流が行われたことで、アメリカン・ポップスは猛スピードで洗練されていき、同時に裾野も広がっていった。ゆえに、「オーディション」はアメリカン・ポップスを結果的に発展させた。
そして3点目。LP自体は1948年に33回転LP盤が、翌年に45回転EP盤(通称ドーナッツ盤)が既に誕生していたが、二種類の規格が存在したこともあって1954年まではなかなか普及しなかった。ところが、どちらの規格も再生可能な安価なプレーヤーが開発され、1954年にレコード会社がラジオ局に送るテスト盤を従来の78回転SP盤ではなく45回転ドーナッツ盤に統一してからは、一般家庭にも急速にドーナッツ盤が普及。SP盤と異なり大量生産が可能であること、それゆえ安価な値段での販売が可能になったこと、SP盤と違って軽くて割れにくいため持ち運びも簡単でパーティーなどで気楽に音楽を共有できること。これらの特性もあって、音楽を楽しむことが大人の教養ではなく若者の娯楽へと変化していった。そういう背景もあって、ロックンロールをはじめとするアメリカン・ポップスへのニーズが若者の間で高まっていたわけだ。ニーズがあるから楽曲の大量生産も必要とされ、それゆえアメリカン・ポップスは猛スピードで成長していくことが可能となったのである。また、このことは先ほど述べた1点目とも実は密接な結びつきがある。手軽な再生メディアが若者の間で普及していたことで、ロックンロールは若者の文化・娯楽となったわけだ。それは同時に、ロックンロールを感覚として持っているソングライターを育てることにもなった。

上述の3要素が密接に影響しあった結果、アメリカン・ポップス黄金時代は訪れた……そのように、筆者は考えている。 

3.ボカロ・ムーヴメントとは

さて。ここまで筆者はアメリカン・ポップス黄金時代についてまとめてきたわけだが、ここで連想されるのが、現代のボーカロイド(以下、ボカロ)・ムーヴメントである。

2007年に発表されたDTMソフトウェア「VOCALOID2」、通称「初音ミク」は、ヴァーチャル・アイドル的な支持を獲得し、同ソフトを利用して制作されたオリジナル曲を収録したコンピレーション・アルバムがオリコン週間チャートで1位に輝くなど(2010年5月31日付、2011年1月31日付)、若い層を中心にではあるが高い支持を集めている。また、2011年には北米トヨタのCMキャラクターに起用され、日本の最新型のポップ・カルチャーとして海外でも認知されつつあるわけだが、ミク以外にも様々なボカロが現在まで発表されており、それらを使った楽曲が次々と制作され続けている。
一連のボカロ・ムーヴメントを語る上で切り離せないのが、ドワンゴが運営する動画投稿系サイト・ニコニコ動画の存在である。
ボカロ楽曲の大多数は、楽曲に映像や画像を付ける形で動画としてニコニコ動画にアップロードされることで世間にまず発表され、それらがネットにおける「口コミ」で拡散していくという形で、ファンを獲得している。
動画というメディアを介在しているため、キャラクター・デザインの可愛さやヴィジュアル・イメージ、そこを入り口にファンになった人も確かに多く、当初はヴァーチャル・アイドル的な支持のされ方が圧倒的に多数であったが。現在ではそういった支持のされ方はやや落ち着いた感もあり(事実、コミックマーケットやTHE VOC@LOiD M@STERでは、ボカロのイラスト本や同人誌は以前よりも数が減少している)、ボカロ楽曲そのものへの音楽的な支持が俄然増しているように感じられる。それに伴って、ボカロを使って楽曲を制作しているクリエイターたち(ボカロP)がアイドル的に支持される現象も見受けられるようになった。有名ボカロPがアイドルやシンガーに楽曲を提供することも増えてきており(中川翔子の『nsum?中川翔子がうたってみた!?』のようなアルバムが出たのは象徴的である)、ボカロP自身のシングルやアルバムもオリコン上位に食い込むなど(2012年1月31日付のオリコン・アルバム・デイリーランキングでは、八王子Pの『electric love』が初登場11位、daniwellPの『Nyan Cat』が初登場17位。同年8月15日付のオリコン・シングル・デイリーランキングでは、じんが3位を記録している)、ボカロP自体が音楽業界的にも注目されるようになった。それを直接的に裏付けるものではないが、ビー・エヌ・エヌ新社から8月22日に刊行された『VIP ボーカロイド楽曲制作テクニック by八王子P』のように、ボカロPの知名度にあてこんだ企画も通っていたりする。

ただ、ここで忘れてはならないのは、ボカロPの人気だけが上がったのではないということだ。彼らの作る楽曲の質も格段に上がっているということを忘れてはならない。良い楽曲を作るから、人気が上がった。そういう単純な話なのだ。
元々、同人音楽というのはジャンル的に、メタルやボッサ、ピアノによるイージー・リスニング、あとは民族音楽や打ち込みの電子音楽が主流だったわけだが、ここ最近はそれ以外のものもかなり増えており、電子音楽にしても、デトロイト・テクノっぽいものもあればユーロビートもエレクトロもシカゴ・ハウスもラテン・ハウスも……というように非常に多岐に渡っている。送り手側の音楽的素養が広がっていること以外にも、楽曲の作りこみ具合、音やアレンジへの凝りよう、メロディや歌詞の洗練具合に至るまで、確実に以前よりもジャンルとしての成熟を感じさせられるのだ(音へのこだわりは、ボカロ系のイベントにおいてソニーのMDR-CD900STを試聴用のヘッドフォンとして用意しているサークルが非常に多いことからも窺える)。
筆者の場合、元々、アメリカ音楽の蒐集家で。アメリカン・ポップスを中心に音楽を聴いているため、どうしてもアメリカン・ポップス的な文脈にあるものを求めてしまうが、たとえば、かつての渋谷系的なものやネオアコをスマートに再現してくれているbetchaやノラフィ、かなしいぱんつ。ミクでブルースを歌い切る佐々木Kすけ。そして、黄金時代のアメリカン・ポップスやパンクや90年代というものを、10年代から俯瞰した上で、10年代のポップス・マインドでやってみせるツマー。彼らの楽曲に関してはメジャー・アーティストの楽曲よりも魅力的に聴こえてならない。

4.ボカロ・ムーヴメントはなぜ成熟したのか?

音楽的な成熟はなぜ起こったのか。それは以下の3点によるものだと筆者は考える。

  • 音楽的素養が高いボカロPたちの同時多発的な発生
  • ボカロPたちが日常的に「オーディション」されることで互いに切磋琢磨できる環境
  • 音楽を手軽に再生・共有できるメディアとして投稿系動画サイトが普及していたこと

既にお気づきの方もいらっしゃるとは思うが、今挙げた3つの要素というのは、前述した「アメリカン・ポップスが黄金時代を迎えるにあたって、何が要素として必要不可欠であったか」と構図としては同じものである。
今回はまず、3点目から説明していこう。
投稿系動画サイトでも、一番ポピュラーなものはYouTubeやニコニコ動画である。簡単に音楽・動画を共有できるメディアであり、ゼロ年代を文化史的に見た場合、それらのサイトがスマートフォンと並んでいかに重要な発明であったかは今更論じる必要もないだろう。ただ、その発明には功も罪もともにあって。特に、古いタイプの音楽評論家・業界人からは罪ばかりが指摘され、すこぶるウケが悪い。彼らの言い分はこうである。

「投稿系動画サイトへのアップロードや違法DLこそが市場の売り上げを下げている」

確かに違法DLは売り上げを下げる要因にはなりえるだろう。この論に関しては積極的に賛同できないが、否定はしない。ただ、投稿系動画サイトへのアップロード。これはどうだろう。というのも、今はその手のサイトで試聴して気に入れば買うというのがスタンダードになりつつあるからだ。逆に言えば、試聴できないものは買われないわけだ。だから、違法アップロードという行為を賞賛するわけではないが、売れない原因のトップにこれを持ってくるのはおかしいのではないかと筆者は考える。たとえば、ニール・ヤングなどは新譜を出す際は、全曲フルタイムで試聴可能な状態にしている(ただし、音質は下げている。その上で、良い音質で聴きたければ、音盤を買うようにと呼びかけている)。また、今夏にワーナーから発売された『渋谷系 feat. 初音ミク』という、ミクによる渋谷系カヴァー・アルバムなどは、ワーナーの公式で4曲がフルレングスで試聴可能となっていた。つまり、そういった試みが販促に繋がると考えている人もいるし、ワーナーさんもその考えにゴーサインを出して実際にやっている時点で、投稿系動画サイトへのアップロードが音楽業界にとってマイナスになっているとは到底考えられないのである。
また、「暇さえあればレコード屋に通ってレコードを漁ること」がイコールで「音楽的にスマートな理論武装」であるかのように持て囃された90年代と違い、不況下の10年代においては若者がそんなにむやみやたらとレコードを買えるわけがない。ある程度、試聴して中身を吟味した上で買うのが今の時代に即したスタンダードなのだ。
こうも言えるだろう。かつてLP盤の普及によって音楽を聴くという行為が大人の教養から若者の娯楽に転じたように、不況下の現代では投稿系動画サイトの普及により音楽は辛うじて若者の娯楽たりえている、と。
さらに、これは1点目とも繋がる話であるが。ボカロPには既存の音楽ジャンルに囚われない、各ジャンルを横断するかのような音楽性が認められることが多々ある。この現象は上の世代のミュージシャンたちよりも強く感じられるのだが、おそらくそれは、今までのミュージシャンが棚によって仕切られていた区画でのみ音楽を聴いて素養を深めていたのに対して、今の若いボカロPたちは仕切りがない投稿系動画サイトで素養を深めているからであろう。ゆえに、音楽的に素養が高く幅広いボカロPたちが多数生まれたのである。
さて。ボカロPたちにとって投稿系動画サイトの利点は、完成した楽曲を簡単に世間に発表でき、簡単に共有でき、すぐに反応がダイレクトに帰ってくることである。特にニコニコ動画などは、どのポイントでどういう反応が出たかまで観測できるため、リスナーの生の声がリアルに届くわけだ。これはクリエイティヴな立場にいる者にとっては非常に刺激的なことであろう。
第2点にも関連する話ではあるが。ニコニコ動画はボカロPにとっては単なる発表の場ではない。再生数や視聴者のコメントという目に見える形で査定される目視可能な「オーディション」会場でもあるのだ。そこで互いに競い合い切磋琢磨していったこと。これも、ボカロ・ムーヴメントの音楽的な成熟を促したのだ。[3] … Continue reading

先ほど、10年代の不況について少し触れたが。実はそのこと自体も、才能豊かなボカロPが同時多発的に生まれたことの要因となっている。
アニメ『けいおん!』の影響もあって、バンド活動をしている10代は近年また増えつつあるようだが、それは一時的なもので長らく減少傾向にあるようだ。バンドでメジャー・デビューして……というサクセス・ストーリーも、近年では非現実的な話であると露呈しており、アルバイトをしながらフリーター同然でやるリスクがまずは考慮される時代になっている。そういう時代ゆえかバンドを組むこともままならず、バンドの「維持費」よりはボカロと宅録をした方がコスト的に安く上がるという意見もあり、持たざる者の逆転の発想として、ボカロで創作活動をしようという若者もいるようだ。そういう層の流入もあって、ボカロPたちの裾野が広がったという一面はあるのだ。
確かに、人間関係に悩まされることもなく、コストを抑えることもでき、そしてアイデアをすぐに形にできるボカロというのは、ディスコミュニケーションや不況や情報化社会といったゼロ年代以降の問題を考えるに、何者かになりたい者たちのための生存戦略としては非常に理に適っていると言える。

5.さいごに

かつてのアメリカン・ポップス黄金時代と現代のボカロ・ムーヴメントにある幾つかの共通点。それらを考えるに、キラ星の如き若き才能たちが日夜作品を発表し続け、査定がその場で行われているニコニコ動画は、さしずめ現代のブリル・ビルディングだといえる。
iPodの普及により楽曲(ファイル)単位で曲が管理される現代と、ドーナッツ盤が単位であった過去と。どちらもティーンエイジャーのための音楽である、ボカロ楽曲とロックンロールと。共通点はまだまだあるのかもしれない。だとしたら、ボカロ楽曲の後に来るのは、自作自演の時代なのかもしれない。ボカロPたちもやがてはシンガー・ソングライターに転向するのだろうか[4] … Continue reading。彼らの21世紀的精神の「つづれおり」が、筆者は今から楽しみでならない。

註釈

註釈
1 ちなみに、当時のアルバムは単なるシングル曲の寄せ集めでしかなく、シングル盤こそが重要視されていた。ゆえに、アメリカン・ポップスの黄金時代を体系化して論じる場合、シングル盤(楽曲)単位で論じることが今日のアメリカン・ポップス評論の主流なのである。
2 ゆえに、当時のアメリカン・ポップスを論じる場合、歌手別ではなく作曲家別に体系化する方が今日のアメリカン・ポップス評論では主流なのである。たとえば、1962年にビルボード1位になったヒット曲のひとつに、リトル・エヴァの「ロコモーション」という曲があるが、同曲はソングライター・チームであり夫婦であったジェリー・ゴフィンとキャロル・キングの家に住み込みで働いていたベビー・シッター、リトル・エヴァにたまたま歌わせたら素晴らしかったので彼女の歌でレコーディングした――という伝説で知られている(なお、これはリトル・エヴァという職業歌手にギミック付けをするための方便に過ぎず、真っ赤な嘘)。しかし、今日ではリトル・エヴァは同曲をたまたま歌った歌手として「ロコモーション」の添え物的に認識されるに留まり、同曲に関してはゴフィン/キングを切り口に論じられることがほとんどだ。今日のロック評論で重要視され問われやすい「オリジナル性」「アーティスト性」というものが、リトル・エヴァよりもゴフィン/キング、ヒット曲を歌ったシンガーよりもヒット曲を作り出したソングライター・チームの方に強く帰属するものだからである(自作自演の歌手が今よりも少ない時代ゆえ、尚更その傾向は強くなる)。
3 話は逸れるが。ニコニコ動画に関して、リスナー側の話としてひとつ指摘しておくと。お気に入りのレコードを仲間の部屋に持ち寄って皆で共有するというのが、昔の音楽ファンにはよくある光景だったわけだが。彼らに言わせると「今の若い音楽ファンはそういうことをせず、ヘッドフォンやイヤフォンで独りで聴いている。だから、広がりがない。かわいそうだ」とのことらしい。しかし、現代における音楽ファンの「共有の場」というのは互いに感想を言い合えるニコニコ動画であり、横に流れていくコメントが「仲間」になっただけなのだ。このことは若い音楽ファンを弁護する意味で指摘させていただく。
4 2012年にDECO*27は本人の弾き語りによるセルフ・カヴァー『DECOUSTIC』をリリースしており、ハチは近年シンガー・ソングライターの米津玄師として活発に音楽を送り続けている